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【第二十一回】保土ヶ谷流の「お・も・て・な・し」

5日目 保土ヶ谷~戸塚 ①

寄り道と文章担当の妻【こしあん】と、下調べと写真担当の夫【つぶあん】。
「あんこは、こしあんかつぶあんか」のような、ある意味どうでもいいけれど永遠のテーマを時おり議論しながら、東海道五十三次を“コマ切れ”で歩きます。お供は磐田市イメージキャラクター「しっぺい」です。
日頃まったく運動せず、極度の面倒くさがりである二人が、どこまで頑張れるか、どうぞ笑いながら見守ってください。(筆者:つぶとこし)

「コマ切れ東海道あるき旅」連載一覧

第二十一回 保土ヶ谷流の「お・も・て・な・し」

真冬のとある日の早朝6:50。ようやく空が白み始めた頃に家を出てバス停へ。高速バスで横浜まで行き、JR横須賀線に乗って保土ヶ谷駅へ。この時点で10:15。家を出てからすでに3時間以上が経過しており、旅の前に十分、旅をしちゃっているのである。
もちろん、旅の後にも旅があるので、往復7時間くらいかけて8~9km(休憩含んでだいたい4時間くらい)を歩きに行っているということ。たった3分くらいのアトラクションのために2時間も3時間も並ばせられる、ねずみの国みたいですね。
それでも東京まで行っていた最初の頃に比べれば、「旅のための旅」の距離はだいぶ縮まってはいるのですが……。

今日の旅の予定は、保土ヶ谷駅~戸塚駅までの約9km。途中には、日本橋から出発して最初の難所といわれる「権太坂(ごんたざか)」があり、当時はこの坂で命を落としてしまう人もたくさんいたとのことで、ちょっとおびえております……。


さて、保土ヶ谷駅を降りて駅前の「保土ヶ谷宿場通り」に出ると、狭い道なのにけっこうなスピードで車がガンガン走っています。歩行者や自転車も多く、ちょっと歩きづらくて、スタートからいきなりくじけそうになりました……。


しかし、少し歩くと「助郷会所跡(すけごうかいしょあと)」と書かれ、宿場町風にペイントされた自動販売機があり、これだけでもテンションが上がります。


宿場でまかないきれない人手や馬を、周囲の村などから動員することを「助郷」、指定された村のことを「助郷村」と呼んでいました。助郷動員の指示に対応するために、問屋場(人馬を用意して荷物を運搬したり、飛脚業務などを行う、宿場で最も重要な施設)の近くに「助郷会所」を設けていました。参勤交代などで交通量が増えて人手が足りなくなると、助郷村にお触れを出して応援を頼んでいましたが、報酬も安く、村にとってはかなりの負担だったとか。この「助郷会所」に各助郷村の代表が出勤し、村が手配した人馬が不公平な割り当てを受けたり、不当に使用されないよう監視していたそうです。


すぐ近くに「問屋場跡」と「高札場跡」の看板があります。
高札場跡は何だかもう、錆び付いた税務署の看板のほうが目立ってしまって、いろいろと残念な感じ。この目の前に保土ヶ谷税務署があるからなのでしょうが、こんなボロボロの看板があったところで何?って感じですよね……。


この先の踏切付近で、50代くらいのオジサンが近づいてきていきなり、本当に何の前置きもなく「どうひょう見た?」とか何とか話しかけてきて、あまりに唐突すぎてびっくりしてしまい、「どうひょう」が「道標」のことだとも咄嗟には認識できず、「……あ、あぁ、はい……さっき見ました」と適当に苦笑いしてごまかしてしまいました……。
せっかく教えてくれたのはいいのですが、唐突な距離感にびっくりして慌てちゃって、気の利いた受け答えができなかったよう。ちなみにその道標はやっぱり見逃していたよ……トホホ。

しかもこの後、しばらく行ったところでまた別のオジサンに同じように唐突に話しかけられることに……(@◇@) そのオジサンはバイクに乗って近づいて来たので、一瞬、本当に身構えてしまったよ……。何なの? いきなり話しかけてくるのは、保土ヶ谷の人たちの地域特性なの?
二人でリュックを背負って地図を見ながら歩いているので、確かに東海道ウォーキング丸出しではありますが、見ず知らずの人に何の「エクスキューズミー」もなく話しかけられると、人見知りで警戒心の強い私たちは、ちょっとドキドキしてしまうとです……。
いろいろと教えてくれるのはとても有り難く、宿場町としての歴史を大切にしている保土ヶ谷流の「お・も・て・な・し」なのかもしれませんが、「東海道歩いてるの?」くらいは聞いてから話しかけてほしかったとです……。
まぁ、こうしてネタにできているので、今となっては面白いですけどね。


少し進み、国道と合流したところにちょうど「本陣跡」あり、通用門が現存されています。


すぐ先には「旅籠屋(本金子屋)跡」、さらに行くと一里塚跡や松並木が続くので、「旧東海道を歩いてまっせ」という感じが前面に出てきて、歩きがいがあります。

この写真、右上にUFO写ってる?! なんて一瞬思いましたが、鳥でした


また、要所要所で分かりやすい案内板があるのが素晴らしい! これなら間違えずに進めます。こういうちょっとした心遣いでその土地の印象がものすごく良くなります。


さぁ、いよいよ、本日のメインイベント「権太坂」が近づいてまいりました。
右斜めへとそれる道が「権太坂」です。


ここを登ります。

箱根駅伝でも有名な権太坂。駅伝では一本隣りの国1を走りますが、旧道のほうがさらに勾配がキツイとか(-_-;) 現代よりも昔のほうがさらにキツイ道だったそうで(舗装されていないので当然ですよね…)、しかも、当時は栄養状態も良くなかったでしょうし、日本橋から歩き続けて力尽きてしまった人もいたのでしょう。もしかしたら、盗賊などに襲われた人もいるのかもしれません。そういったことから、かつてこの坂で命を落として亡くなった人や動物の骨の「投げ込み穴」が、昭和36年頃の宅地開発の工事中に発見され、現在は供養碑が建てられているとのこと。


そんな話を事前に聞いていたので、ものすごい覚悟で臨んだ今回の旅。
高低差は約70m、距離は2km弱。目の前にそびえる坂は、それほど急には見えないけれど、この先に何があるのかはわからない……。この時点で40分くらい歩いているので、すでにちょっと疲れてもいる。

果たして、無事にこの坂を越えることができるのか。そして「権太坂」なんていう面白いネーミングの由来は?!
それは次回のお楽しみということで。

つづく

【つぶとこしがこれまで歩いたルート】

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更新日:2017/3/16
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つぶとこしの『コマ切れ東海道あるき旅』 文章担当の妻【こしあん】と写真担当の夫【つぶあん】。日頃まったく運動せず、極度の面倒くさがりである二人が、東海道五十三次を“コマ切れ”でゆるゆると歩きます。

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